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恋愛重視と社会、動物としてのヒトの進化

ポリアモリー

日本人は結婚するまでの間、生活や人生の中で恋愛に重きを置く人が多いようですが、恋愛を重視しすぎるではないでしょうか。
私の感覚では「野菜が好きか、肉が好きか」くらいの感覚なのですが極端なのでしょうか。

確かに恋愛はとても人間的な感情だと思います。
動物的に言うなら繁殖に結びつく大事な感情です(繁殖しないのが悪というわけではありません)

日本の恋愛至上主義みたいなのは近代でもごくごく最近出てきた流れです。
わかりやすいのがお見合い結婚と恋愛結婚との比較ですが、1960年後半に恋愛結婚の割合の方が多くなりました。
それまではお見合い結婚の方が多かったわけです。

参考:厚生労働省「恋愛結婚と見合い結婚の割合の推移」
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/15/backdata/01-01-03-009.html

「もう50年以上前の話じゃないか」「昔と今は違うんだ」
と言われる気持ちもわかります。

しかし動物として人類、つまりヒトの長い歴史から見れば50年はほんの僅かな時間です。
その50年の間に文化や文明は絶えず進化と衰退し続けています。

その間、ヒトは動物としてそれほど大きな変化を遂げたのでしょうか。
私は「社会だけが急激に変化し、動物としての人間はほとんど変わっていない」と考えています。
進化論がどうとかではなく、わずか1、2世代で動物としてのヒトの本質が大きく変化したとは考えにくいのです。

社会に話を戻します。
日本社会はなんだかんだで大変寛容だです。

引き合いに出すのはちょっと違うかもしれませんが、戦時中のヨーロッパの一部の国では同性愛者は犯罪で投薬治療が行われていました。
法律で禁止されていたのです。

そんな過去から学び、今の日本ではLGBTの人たちの生活や活動自体は法の規制を受けてません。

恋愛至上主義を掲げてしまうといずれは先鋭化し、「恋愛以外は悪」と言わんばかりの原理主義に行き着くでしょう。

ひどい言い方かもしれませんが少数派恋愛感の人、つまり恋愛においてマイノリティーなパーソナリティを持つ人はマイノリティーなりにひっそり生きていくのが懸命だと思っています。
実際、私はそうしています。

なぜなら何らかのパーソナリティを快く思わない人がいるのもまた事実で、そのような人の内心も尊重されるべきだと思います。

LGBTやポリアモリーだけがパーソナリティではありません。
モノガミーや異性愛者も立派はパーソナリティです。

他人は自分と違う。
ただそれだけの話だと思うのですが、論争が起きます。

人類の歴史の中で争いから様々な権利を勝ち取ってきました。
しかし、逆に負けて消えていった権利や考え方もあることを忘れてはいけません。

結局のところ、話を大局的にまで大きくせずに、個々が尊重し合えば良いと思うのです。
恋愛に限らず、人間関係では互いに尊重し合うことはとても大切なことなはずです。

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