こんにちは。
ふわぽりー(@FuwaPoly)です。
ポリアモリー書籍にある「所有しない愛」の違和感
ポリアモリーをざっくりといえば「複数の人と合意の上、誠意を持って交際すること」をいいます。
そんなポリアモリーの指針の中に「所有しない愛」というのがあります。
私の認識では指南書などどが示す「所有しない愛」とは独占せず、パートナーを誰かと共有すること(がある)と理解しています。
しかし、私はこの考えには疑問が残ります。
「共有」も「所有」に内包される
言葉遊びをするつもりはありませんが共有は「共に有する」と書きます。
これって「共に所有する」って意味なんじゃないんでしょうか?
独占しない=共有とも考えられますが、共有も所有することの一種だと考えています。
かといって共有自体をを否定する気はありません。
当事者同士が合意に至っていればそれは誠実な関係として成り立つとされているのがポリアモリーの考え方なので。
人類みな兄弟なんて高尚なことをいうつもりはありませんが、むしろ共通の相手を誰かと共に想えるというのはとても素敵なことだと思います。
私は両親や親族が子どもに愛情を注ぐことに似ていると同じような感覚です。
だからといって無理に「所有しないぞ!」と意気込む必要もないでしょう。
各々が相互に理解があり素敵な関係が気づいて幸せであればそれで良いと思います。
そもそもポリアモリーという考え方は日本発祥ではありませんから翻訳の過程で日本人には重い言葉になってしまっていることのではないでしょうか。
参考:「愛」は日本人には重い
だから無理に共有とか所有などの言葉に縛られる必要もないでしょう。
それぞれの所有しない愛、誠意のある関係を気づいていけば良いと思います。
ヤキモチは妬かないが腹は立つ
私は大切な人を独占したいという願望がかなり希薄な方です。
一方で友人・恋愛関係を含め、大切にしたい人が多くいます。
予め断っておきますが「所有しない愛=パートナーを共有する」ということ自体を否定するつもりはありません。
ポリアモリーは社会では少数派ですし、その中でも多様な考え方があることはむしろ素敵なことだと思います。
思い返しても私はこれまでほとんど嫉妬やヤキモチという感情を抱いた記憶がありません。
極端な話、恋人が他の人と一夜をともにしても、予めその予定を知らせてくれていて、それを正直に話してくれるなら受け入れられます。
もちろん一般的な感覚とはズレていることは理解しています。
とはいっても私も人間なのでお腹も減りますし感情だってあります。
ある時、私にはAさんという交際相手がいました。
AさんはAさんと以前の交際関係にあったBさんとこっそりと会っているということがありました。
私はそれ自体をどうこういうつもりはありませんでした。
また、会ってどんな話をしたかとか身体の接触があったかどうかも気にしません。
変なところでカンの良い私は「友達と遊びに行く」という交際相手の言葉にほんの少し違和感を感じていました。
後日、なんとなく聞いてみたら案の定、Bさんに会っていたそうです。
それを聞いてもすぐにイヤな思いには至りませんでした。
まず、Bさんが今は友人関係にあるのか、ということを確認しましたが、別れてからは会っていなかったそうです。
ではAさんとBさんは友人関係になかった、と考えるのが自然でしょう。
このときはウソをつかれたので「う~ん…」って具合にイヤな思いはしました。
さらに話を聞いているとBさんと会った理由は
「私にヤキモチを妬いてほしかったら」だそうです。
これを聞いたときは少々腹が立ちました。
こっそり会っていたからでも、ウソをついたからでもありません。
「ヤキモチを妬いて欲しい」って言われてても私はそういう感情がわきにくいので困ります。
七輪とお餅でも持ってきてくださいって話です。
それよりもヤキモチを妬いてほしいという欲求のために「試された」ことに腹が立ちました。
身体的な行動だったら頑張ったらどうにかできるようになるかもしれませんが、起こりにくい感情を無理矢理引き出そうとされてもこちらとしてもどうしたものでしょうか。
私は以前からAさんから何度もヤキモチを妬かれていた方でした。
私はAさんが不快になるような行動を控えるように心がけていました。
それが私なりの誠意だと思っていたのですが、Aさんはそれと逆の形で私の誠意を試そうとしたのです。
腹も立ちましたが悲しくもあり、寂しくもありました。
ポリアモリーでも一対一のお付き合いをするモノガミーでも嫉妬やヤキモチは常に付きまとう感情です。
ポリアモリーの人は嫉妬とどのように向き合うのかという課題は常につきまとうようです。
結局は指南書の指針に従うように生きるのではなく自分の気持ちとどう付き合うかが大事だと思います。
なぜヤキモチを妬かないのか
こんなふざけた記事を書いている私ですが、それなりに人間関係には信念を持っています。
私が大事にしているのは「想う人が幸せであって欲しい」です。
言い換えれば、
「自分といて不幸になるくらいなら他の人と幸せになって欲しいと願います」
とすら思っています。
いや、ホントに。
もちろん、私と共にいてくれて幸せであるのが嬉しいのですが、一番ではありません。
想う人の幸せが一番で自分は二の次ということですね。
だから私は「互いに誠実であるのなら嫉妬やヤキモチは発生しないのでは?」と思ってしまいます。
もっと突っ込んで言えば、別のパートナーに独占されても構わないとすら思います。
「想う人が幸せであって欲しい」というのは見方によっては所有を放棄しています。
別に私のそばにいてくれなくても良いのです。
所有しない愛の行き着く先「ただ想う人の幸せを願うこと」だと私は考えます。
自分で言うのもアレですが、ちょっと極端な考え方なのでオススメはできませんが、こんな考えがあると知ってもらえればと思い投稿しました。
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