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身近にあるモノガミー感とポリアモリー感

ポリアモリー

こんにちは。
ふわぽりー(@FuwaPoly)です。

前回の記事、好意のグラデーション。自身の好意を受け入れるの中で「好意を認め、受け入れる」と書きました。
今回はその続きです。

ポリアモリーという考え方は特殊だと思われがちですし、私も少し前まではそう思っていました。
けど、よくよく考えてみたら「何かを好き」という好意を複数持つこと自体は特殊なことじゃないと気づきます。
こと恋愛だけにポリアモリーだ、モノガミーだというから特別な考え方だと感じてしまうのだと思います。

各所にみられるモノガミー感

モノガミー的な考え方はなにも恋愛観に限られてないなと気づきました。

例えば好きなスポーツチームは”なんとなく”1スポーツにつき1チームみたいな雰囲気って感じませんか?
チームAも応援するし、チームBも好きっていう人は浮気性って言われるでしょう。
チームA対チームBの試合のときはどっちを応援するの?とも言われるかもしれません。
正直、どっちも応援したらいいんじゃないかなと思います。

日本ではプロ野球がわかりやすいかもしれません。
セ・リーグでは球団Aが好きでパ・リーグだったら球団Bかな?
という感じで。

「セ・リーグの球団Aと球団Bが好きかな?パ・リーグはないかな?」
という人は少ないかもしれません。

じゃあ球団Aと球団Bが試合するときはどっちを応援するの?
という話になりますよね。

確かに試合会場にいって応援するのだったら、席がどちらサイドかなんてこともありますが、その時は取れた席に合わせればいいでしょうし、周りに不快感を与えないように逆(敵)サイドを心の中で応援してもいいでしょう。

大事なのはその試合を「一緒に楽しむ人たちに不快感を与えないようにしながら自身も楽しみ応援する」ことではないでしょうか。

試合会場ではなく家でテレビで観戦する場合は「どっちもガンバレ!」
どっちが勝っても嬉しい、と思えればポリアモリーの資質があるかもしれませんね(笑)

意外と浸透しているポリアモリー感

一方、好きな音楽やアーティスト、映画は複数あってもOKみたいな雰囲気もありますよね。
バンドAも好きだしシンガーBも好き。
もしくはロックも好きだしEDMも好き。
あの映画も好きだし、この映画も面白かったとか。

自動車なんかもその傾向があると思います。
SUVが好きだけどスポーツカーも好き、というか車自体が好き。

私はこの感覚がポリアモリー感に近いと思っています。

音楽や自動車は同じレーベル、アーティスト、メーカーから新作が登場します。
新作が登場するたびにこの曲は好き、こっちは好みじゃないかなあ…、この車は前のモデルのほうが好きだなあ、けど今のモデルはここが好き、なんてことはよくあるでしょう。

スポーツチームに関してはモノガミー傾向が強いと先述しましたが、実はスポーツチームにもポリアモリー的な考え方も起こりえます。
わかりやすいのは「チームAの選手で誰が好き?」という問いに対して「X選手とY選手とかいいよね!Z選手なんかも好き」という答えはモノガミーの人からもあまり反感を買いません。
むしろ同じチームAを応援するもの同士でそれぞれの選手の魅力を語り合ったりします。

これは先程のセ・リーグ、パ・リーグのような「1つの括りの中」なのに複数の選手に好意を抱くことに寛容ですね。
私は「同じチームに応援する選手が複数いる」はモノガミーの人と同じように良いと思います。
同時に「複数のチームを応援したい」という思いもあっても全然いいんじゃない?と思います。

音楽やスポーツチームの例にも共通することは「1つのブランド(括り)の中なら好き不好きはOK」ではないでしょうか。
応援するスポーツチームに応援したい選手がいたとします。
その選手が他チームに移籍したら今度は今までいたチームが敵になりますよね。

そこはチームを応援したいのか、選手を応援したいのかによって分かれますがそれ自体はどっちでもいいと思います。

移籍前のチームが好きだったのに応援してた選手が移籍してしまって…なんて考える必要こそないでしょう。

どちらも応援すればいいのです。

恋愛観を特別視しないポリアモリー

「好きなスポーツチームと恋愛観を一緒にしないでほしい」と言われるかもしれません。
逆に私は「恋愛ってそんなに特別視しないといけないの?」
と感じてしまいます。

前回も記しましたがポリアモリーの指南書には「複数の愛が~」「複数のパートナーと~」なんて恋愛や性愛について記されていますが、
何も恋愛や性愛に限らなくてもいいんじゃないの?と思います。

なにかの思想が先鋭化しすぎるといずれ原理主義に陥ってしまう可能性もあります。

日本でもお見合いが廃り、恋愛至上主義なんて言われたりしています。
至上主義というからにはやはり恋愛は人間関係にとって特別視されているのでしょう。
だからこそ「モノガミー+恋愛至上主義」となるとポリアモリー的な考え方は強い非難を受けるのでしょう。

私の感覚では「仲の良い友人が複数いるのと似ているですけど…」なんていうとほとんどの人には眉をひそめられでしょうけど…(笑)

逆に問えば「音楽やスポーツ、趣味のことをどれだけ好きだったとしても恋愛には負ける」ということなんですかね?

本当にそう思っていたり、そういう信念を持っている人はそれで良いと思いますが、知らず識らずのうちに「そう思わされている」ということはないでしょうか?

改めて「自分の中にあるいろんな好意」を振り返ってみてください。
ポリアモリーという考え方は恋愛や性愛に限らず、好きなこと・大切な人なんでもいいので自身の好意を否定しないことだと思います。

少々、拡大解釈しすぎかもしれませんが、もっといろんなことにみんなが寛容になったら良いのにな、と思いこの投稿を書きました。

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